【学歴ロンダリング?】小泉進次郎はコロンビア大学院卒業!高校中学の学歴もまとめ!

【学歴ロンダリング?】小泉進次郎はコロンビア大学院卒業!高校中学の学歴もまとめ!

父は内閣総理大臣経験者、兄は俳優、嫁は滝川クリステルと身内が有名人ばかりの政治家・小泉進次郎さん。

最終学歴はアメリカのコロンビア大学大学院となっていますが、学歴ロンダリングだとネットでは叩かれています。

そこで今回は、政治家・小泉進次郎さんの学歴について調べてみました。

小泉進次郎はコロンビア大学院卒業!

お坊ちゃんである小泉進次郎さんは、神奈川県横須賀市に生まれで、1988年に関東学院六浦小学校に入学してから大学卒業まで関東学院に通っていました。

その後大学を卒業して、アメリカの名門「コロンビア大学院」に進学しています。

小泉進次郎の学歴 大学院:コロンビア大学大学院

小泉進次郎さんは、2005年9月にコロンビア大学大学院の政治学部に入学し修士号を取得しています。

コロンビア大学

コロンビア大学

コロンビア大学といえば、ルーズベルト元大統領やオバマ元大統領などを輩出している、政治・ジャーナリズムで有名な大学です。

また、2000年から2020年の間にノーベル賞受賞者を18人も輩出しています。

2022年のTHE世界大学ランキングでは11位、US News発表の米国内大学ランキングでは2位となっています。

(ちなみにTHE世界大学ランキングで東京大学は35位・京都大学61位です)

大学よりは大学院の方が学生数も多く入学難易度が下がると言われていますが、それでもコロンビア大学院に入るのは簡単ではありません。

参考までに、ジャーナリズム大学院修士号プログラムへの入学条件は、

  • 最終学歴の成績証明書
  • 推薦状3通
  • 筆記試験
  • 英語力(TOEFL ibT114以上、またはIELTS8.0以上)
  • エッセイ(自伝的プロフィールと職業上の関心を含む)
  • 履歴書
  • 記事やライティングの作品サンプル

となっています。

そこで考えてしまうのが、小泉進次郎さんはそんなに優秀だったのか…

小泉進次郎さんは公式サイトで、コロンビア大学院を受験するため専門学校に入学し猛勉強をしたと書いています。

大学院に入学するためには、大学付属英語学校で英語判定10が必要だったのですが、自分は専門学校入学時4から5だったそうです。

大学院に入る前から、必死に英語の勉強をしました。

そして大学院に入学してからは、授業のボリュームが大きかったため、毎日睡眠時間3時間であらゆる本を読んで必死に勉強したそうです。

「その頃を思い出すと今でも胸が痛くなる」と語っています。

特別優秀ではなかったのですが、かなり頑張ってコロンビア大学院に入学し卒業したようです。

小泉進次郎の学歴 大学:関東学院大学

関東学院大学

関東学院大学

小学校から関東学院に在籍していた小泉進次郎さんは、関東学院大学・経済学部に内部進学しています。

高校までは野球をしていましたが、大学ではサーフィンにはまっていたそうです。

関東学院大学のキャンパスは、湘南・小田原、関内、横浜・金沢文庫、横浜・金沢八景にあり、経済学部は横浜・金沢八景キャンパスにあります。

偏差値は35~42.5となっており、経済学部は偏差値40(みんなの大学情報より)です。

大学出身の有名人は多く、全国522校中45位で110人となっています。

  • 俳優・常盤貴子
  • 俳優・松田優作
  • タレント・石塚英彦
  • セーリング選手・富澤慎(北京・ロンドン五輪代表)
  • ASIAN KUNG-FU GENERATION・伊地知潔、山田貴洋、喜多健介、後藤正文
  • ラグビー選手・稲垣啓太(日本代表)

小泉進次郎さんが大学2年生の時に、父の小泉純一郎さんは自民党総裁選挙に立候補し、逆転勝利で内閣総理大臣になっています。

その選挙の手伝いをした時「政治は国民が変えていく」と実感し、3年生になり政治家を目指そうと決意したそうです。

小泉進次郎の学歴 学歴ロンダリングの疑惑も?

Fランクの関東学院大学出身なのに、コロンビア大学大学院卒業の学歴を誇っている小泉進次郎さんは、学歴ロンダリングをしているといわれています。

学歴ロンダリングとは

マネーロンダリングからもじったもので、三流大学出身者が出身大学を隠すため大学院に進学することをいう。

最終学歴が大学院卒になるため、コンプレックスを軽減できるといわれている。

小泉進次郎さんの公式プロフィールでは、関東学院大学出身であることも書いていますが、それにコロンビア大学大学院を付け加えれば高学歴になり、「学歴ロンダリング」ができていますよね。

しかも実力で進学していれば「学歴ロンダリングだ」と言われることもないでしょうが、そこには忖度が見え隠れする…

「日本の総理大臣の息子」という肩書が、大学院の入学に影響していたのではないかと言われています。

そんなことを考えさせられる記事があるのです。

「デイリー新潮」は、国民から失笑を浴び続ける小泉議員が、所属大学教授や米大物教授を巻き込んで希望の大学へ入学を果たしたと報じています。

小泉進次郎さんが関東学院大学在学中に、文学部の教授から「総理の次男が、コロンビア大学大学院に行きたいと言い出した」と、相談を受けた国際関係学研究所所長の話を掲載しています。

文学部の教授は「ジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、父の後を継ぎたい」と小泉進次郎さんから推薦状を頼まれました。

しかし彼の成績は、コロンビア大学に行くには圧倒的に足りなかったそうです。

関東学院大学はFランクともいわれる大学で、その学生の中でも彼は平均的な成績だったといいます。

相談を受けた所長は、当時日本で官房長官のアメリカ外交担当非常勤アシスタントを務めていました。

そのため、毎日ホワイトハウスと連絡を取っていたため、ブッシュ政権下で要職に就いていたマイケル・グリーン氏に電話をし、コロンビア大学で博士号を取得していて、カーティス教授とも親しいビクター・チャ氏を紹介してもらいました。

そしてチャ氏から、大学院の選抜システムを詳しく教えてもらい、「小論文や推薦状で彼が政治家になることを強調するように」とアドバイスをもらったそうです。

結果、アメリカの大学院は点数より将来性を重視するため、小泉進次郎さんは条件付きの合格となりました。

その条件は、TOEICスコア600点に達するまで、コロンビア大学内の語学講座で英語のジュ長を受けるというものでした。

英語力の向上を待ってもらえるケースはそれほど多くなく、小泉進次郎さんは例外的な好待遇だったといわれています。

総理大臣の息子であれば、Fランクの大学からアメリカの名門大学の大学院に行けるんだな…権力って…

小泉進次郎の高校中学は関東学院大学付属!

小泉進次郎

小泉進次郎

小泉進次郎さんは、関東学院大学の付属である関東学院六浦中学校(偏差値35)・高等学校に通っていました。

学校は神奈川県横浜市金沢区にあり、完全中高一貫、男女共学、キリスト教(プロテスタント)の私立学校です。

小泉進次郎の中学時代

中学校時代は反抗期で、家族と交流するのが面倒だったそうです。

三者面談で「リーダーになってもらいたい」と先生に言われた時、父の小泉純一郎さんが「目立つのが嫌なんでしょう。控えめでいいです」と答えてくれて感動したと話しています。

その時「忙しくても、自分を見てくれて理解してくれた」と、父に対する感情が変わったそうです。

両親は1歳の頃離婚していますが、中学2年生まで父の実姉を「ママ」と呼んで実母だと思っていました。

伯母のことは、2016年に他界するまで実の母として大切にしていたそうです。

また、父の命令で新聞配達のアルバイトをしていました。

朝2時に起きなくてはいけない仕事でしたが、一日も遅刻せず社長からは高い評価をうけました。

小泉進次郎の高校時代

中高一貫校に通っていましたが、父の母校である神奈川県立横須賀高等学校(偏差値67)を受験したそうです。

しかし不合格となり、そのまま関東学院六浦高等学校に進学しています。

幼少の頃から野球を続けており、高校では副キャプテンを務め、ポジションはセカンドでした。

横浜高校との練習試合では、1歳上の松坂大輔選手の活躍ぶりに衝撃を受けたそうです。

野球部は高校3年生の春・神奈川県大会ベスト8、夏・ベスト16まで勝ち進んでいます。

高校時代野球三昧かと思いきや、彼女がいたという噂もあります。

青春していたようですね。

ところで小泉進次郎さんといえば、父は内閣総理大臣経験者の小泉純一郎さんで祖父・曾祖父も政治家だったという政治界のサラブレット。

…ですが、小泉家の政治家たちは破天荒だったようです。

小泉家の政治家たち

曾祖父・小泉又次郎

曾祖父・小泉又次郎

曾祖父・小泉又次郎

生年月日:1865年6月10日(慶応元年5月17日、慶応は江戸時代最後の元号で将軍は徳川家茂・徳川慶喜)

全身に入れ墨を入れていたため、「入れ墨大臣」「入れ墨の又さん」などの異名を持ちます。

小泉又次郎は、口入れ屋家業から土木請負業「小泉組」を作りました。

この「小泉組」は近代的なヤクザ組織の代表格として知られています。

  • 1903年(明治36年)に神奈川県会議員に当選
  • 1908年(明治41年)衆議院議員に当選
  • 1934年(昭和9年)横須賀市長に就任
  • 1951年(昭和26年)死去

祖父・小泉純也

祖父・小泉純也

祖父・小泉純也

生年月日1904年1月24日(明治37年)

小泉又次郎の娘婿(旧姓鮫島)

小泉又次郎さんの娘芳江と駆け落ちして、東京青山の同潤会アパートで同棲していました。

芳江さんはイケメン好きで、又次郎さんの反対を押し切って結婚し、純也さんが代議士になったら許すと言われ認めてもらいました。

三女二男がいて、長男が小泉純一郎さんです。

  • 1937年(昭和12年)衆議院議員選挙初当選
  • 1952年(昭和27年)義父の後継者として神奈川県から衆議院議員に立候補し当選しています。
  • 1955年第二次鳩山内閣の法務政務次官、1964年第三次池田改造内閣・第一次佐藤内閣の防衛庁長官を歴任しています。
  • 1969年(昭和44年)死去

父・小泉純一郎

(左)小泉進次郎 (中央)父・小泉純一郎 (右)兄・小泉孝太郎

(左)小泉進次郎 (中央)父・小泉純一郎 (右)兄・小泉孝太郎

生年月日:1942年1月8日

1972年(昭和47年)衆議院議員に初当選

厚生大臣、年金問題担当大臣、郵政大臣、内閣総理大臣(第87・88・89代)、自由民主党総裁、外務大臣、農林水産大臣などを歴任しています。

東京大学に入学するため2浪しますが、合格できず慶應義塾大学経済学部に入学しました。

ロンドンに留学中父が急死したため、地盤を継ぎ衆議院議員選挙に出馬しますが落選しています。

1978年にエスエス製薬・元会長の孫と結婚しましたが、嫁が三男を懐妊中の1982年に離婚しています。

議員時代は過激な発言から「変人」といわれていました。

小泉進次郎

小泉進次郎

小泉進次郎

生年月日:1981年4月14日

  • 関東学院六浦小学校
  • 関東学院六浦中学校
  • 関東学院六浦高等学校
  • 関東学院大学
  • コロンビア大学院

2008年父の純一郎さんが政界を引退したため、2009年神奈川11区から出馬し初当選しました。

内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官、環境大臣を歴任しています。

2019年フリーアナウンサーの滝川クリステルさんと結婚・妊娠発表し、2020年には長男が誕生しています。

小泉進次郎と滝川クリステル

小泉進次郎と滝川クリステル

小泉進次郎さんは、神奈川県にある関東学院六浦小学校、中学・高等学校、関東学院大学に通っていました。

小学校からずっとエスカレーター式で進級しています。

その後コネと猛勉強の結果、アメリカの名門コロンビア大学大学院で修士号を取得することができています。

偏差値の低い関東学院大学卒なのに、コロンビア大学大学院卒の肩書を持っているため「学歴ロンダリング」だと多くの人が思っています。