山本太郎さんが代表を務めるれいわ新撰組がとても話題になっていますが、初当選を果たした『船後靖彦(ふなご・やすひこ)』さんにも大きな注目が集まっていますね!
船後靖彦さんはALSを発症し全身麻痺の状態の中、議員に当選されたので今後どのように日本を変えていってくれるのかとても期待を寄せられています。
今回はそんな船後靖彦さんには何ができるのか?経歴や年収、若い頃のギターの腕前についてもまとめました。
船後靖彦の経歴やwikiプロフィール!

名前:船後靖彦(ふなご・やすひこ)
年齢:65歳
出身地:岐阜
中学校:千葉県私立稲毛中学校
高校:千葉県立千葉南高校
大学:拓殖大学
身長:167cm
体重:43kg
船後靖彦さんは1957年10月4日に岐阜市で生まれ、船後靖彦さんが10歳の時に千葉市に住む移り住むことになりました。
中学校は千葉市立稲毛中学校に入学し、そこで現在の奥さんに出会ったそうです。
中学卒業後は千葉県立千葉南高校に進学し、長髪のバンド小僧になったとか。
大学は拓殖大学政経学部に入学し、工事関係やドライバーなどのアルバイトをしながら過ごしたそうです。
大学を卒業した船後靖彦さんは、24歳の時に時計宝石輸入専門商社の酒田時計貿易(株)営業部に入社します。
28歳の頃には中学校の同級生で一方的に恋をしていた現在の奥さんと結婚され、後に娘さんが誕生しました。
30歳の頃には宝飾品部に異動し主にダイヤモンドを取り扱い、40歳の頃には開発部に異動し広報宣伝を担当していたそうです。
順風満帆に見えた船後靖彦さんですが、41歳の頃に徐々に自分の体に違和感を感じ始めます。
41歳でALS発症
(船後靖彦さんの若い頃)
1999年7月、船後靖彦さんが41歳10ヶ月の頃に手にしびれなどの違和感を感じるようになり、、突然、箸、歯ブラシ、ペンがうまく握れなくなってしまいます。
その後、首がうなだれたり、足につまづくような違和感を感じ、さらにはろれつが回らなくなってきます。
2000年5月に千葉大学病院で診察してもらい、ALSが判明したようです。
次第に麻痺は全身に及び、2002年には人工呼吸器、胃瘻を装着しました。
2008年には最後まで働いていた右手中指も麻痺してしまったとのことです。
船後靖彦さんは人工呼吸器の装着が必要となったときには人生に絶望し、装着せずに死も選ぶことも考えたそうですが、ピアサポートに生き甲斐を見出したことで、創作活動、講演活動を行うようになりました。
船後靖彦さんは2004年4月から、名古屋市の訪問介護の会社である株式会社ケアドゥの相談役に就任。
2005年3月からは、精神障害者の為の作業所の運営をし地域生活を支援する会『ふわふわ』の会長にも就任しています。
他にも湘南工科大学非常勤助手、上智大学非常勤講師などとしても活動していたり、看護・介護サービス事業会社「株式会社アース」取締役副社長、サービス付高齢者向け住宅「サボテン六高台」名誉施設長として経営監視も担っています。
人生に絶望して全てを諦めてしまってもおかしくはない状態ですが、重い病気を抱えながらここまでご活躍されている船後靖彦さんはとてもすごいと思います!
船後靖彦の年収は?
船後靖彦さんの年収はどのくらいなのでしょうか?
正確な年収自体はわかりませんが、船後靖彦さんは
- 株式会社ケアドゥの相談役
- ふわふわの会長
- 株式会社アースの取締役副社長
- サボテン六高台の名誉施設長
- 非常勤講師・助手
など、様々なことをされているので、年収はかなり多い方かもしれませんね。
例えば、船後靖彦さんは株式会社ケアドゥの相談役を務めていますが、一般的な相談役の年収は2000〜3000万円ほどとのことです。
会社の規模によって年収はもちろん異なってくるので何とも言えませんが、一般的なサラリーマンとは比べものにならない年収なのではないでしょうか・・・!
ちなみに、船後靖彦さんはれいわ新撰組で議員となりましたが、議員報酬は年間で約2000万円との情報があります!
船後靖彦には何ができる?

船後靖彦さんはALS発症後に出馬して国政選挙に当選した初の人物ということで、とても期待を寄せられていますよね!
ALSにより船後靖彦さんは言葉を発するのが難しい状態ではありますが、奥歯を噛むことでセンサーを反応させるパソコンを使い意思疎通を取ることができるようです。
では、船後靖彦さんはこれからどのようにして日本を変えてくれるのでしょうか?
船後靖彦さんには何ができるのでしょうか?!
船後靖彦さんは当選された時に、このように語っています。
僕という人間を見て、必要な支援とは何か、今一度考え直していただける制度を作っていきたいと思います。
船後靖彦さんは今までの様々な経験から、国の障害者支援に大きな疑問を持っていました。
- デザイン性を重視した点字ブロックにタイヤを取られ、横転しそうになった
- 車いすはエレベーターにと言われ、大型の車いすが入れなかった
- 障害者用のトイレに入って、戸が閉められなかった
- 障害者が暮らす施設では入浴時間を減らされた
- 病気が進行し意思疎通できなくなったら施設から退去するよう命じられた
など、色々な問題に直面してきたそうです。
これらは実際に障害を持つ方でないとわからない部分も多いと思うので、障害を持つ方がもっと住みやすい国にしていってくれることを私も期待しています!
船後靖彦さんは議員に当選する前に、当選したら実現したいことを力強い言葉を語ってくれています↓
僕が議員になったら、全難病患者、障害者を幸せにするために働きます。全難病患者、障害者が幸せな社会はみんなが生きやすい社会です。人の価値が生産性で測られない社会を目指します
今後に期待しましょう!
船後靖彦の若い頃はギターの腕前がプロ級?!
(船後靖彦さんの若い頃)
船後靖彦さんは全身麻痺ギタリストを名乗っていますが、実は若い頃はギターの腕前がかなり凄かったようで、プロを目指していたこともあるとか。
残念ながら、若い頃の演奏動画はありませんでしたが、ALSを発症した現在もギタリストとして活動しています。
気になるのが船後靖彦さんはALSによって全身が麻痺していて、言葉を発するのも難しい状態なんですよね。
そのような状態でどうやってギターを弾くのか?ということです。
船後靖彦さんが現在どのような状態でギターを演奏しているのか、動画を探してみたところ発見したので掲載しておきますね!
現在はバンドを組んで活動しているそうで、船後靖彦さんはパソコンを使ってギターを演奏しているそうです!
まとめ
とても話題になっているれいわ新撰組ですが、これからどのようにして日本を変えてくれるのか楽しみですね!
船後靖彦さんはたくさんの辛い経験をされてきたからこそ、同じような境遇の人の気持ちがよくわかると思うので、これから障害を持つ方が住みやすい国にしてくれることを期待しています!