【まるで恋愛ドラマ】寛一郎(佐藤浩市の息子)の母親は広田亜矢子!追っかけから結婚がヤバい

【まるで恋愛ドラマ】寛一郎の母親は広田亜矢子!佐藤浩市の追っかけから結婚がヤバい

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で公暁を演じた寛一郎さんは、父親が佐藤浩市さんで祖父が三國連太郎さんという輝かしい血統の持ち主です。

寛一郎さんのお母さんは広田亜矢子さんです。

佐藤浩市さんの奥さんで寛一郎さんのお母さんである広田亜矢子さんは、どんな人なのでしょうか。

そこでこの記事では、

  • 寛一郎の母親は広田亜矢子
  • 広田亜矢子と佐藤浩市の馴れ初め
  • 広田亜矢子の人柄がわかるエピソード

などを紹介していきます。

 寛一郎の母親は広田亜矢子!

寛一郎の母は広田亜矢子

出典:twitter

寛一郎さんの母親は広田亜矢子さんという、舞台女優をしていた方です。

佐藤浩市さんの再婚相手で、寛一郎さんが一人息子です。

現在は女優を引退して専業主婦になっています。

1993年に佐藤浩市さんと結婚し、1996年に寛一郎さんを出産。

結婚する時体が弱かったため、佐藤浩市さんの希望で女優業を引退しています。

ちなみに

佐藤浩市さんは1986年に1度結婚しています。

お相手はモデルさんで、確か金髪だったような…

この結婚で息子さんが1人生まれていますが、離婚後親権は元妻が持ち息子さんも引き取られています。

離婚原因は性格の不一致と、父親としてコミュニケーションが取れなかったことだといわれています。

寛一郎さんは佐藤浩市さんと共に、「鎌倉殿の13人」に出演しました。

寛一郎の母は広田亜矢子

出典:twitter

とはいっても、時間差共演です。

佐藤浩市さんは、「鎌倉殿の13人」で最初に粛清される上総広常役を演じました。

寛一郎さんは源氏の滅亡の原因になった、日本史上に残る大事件「源実朝暗殺」を起こした源頼家の次男・公暁を演じました。

重要な役どころを演じた寛一郎さんは、期待されているんですね。

寛一郎プロフィール

名前:佐藤 寛一郎

生年月日:1996年8月16日

出身地:東京都

身長:182㎝

家族:父・佐藤浩市 母・広田亜矢子 祖父・三國連太郎

かつて佐藤浩市さんと三國連太郎も共演。

寛一郎の母は広田亜矢子

出典:twitter

ちなみに、広田亜矢子さんの従妹に広田レオナさんがいます。

広田レオナさんといえば、吹越満さんと結婚離婚を繰り返し、現在は22歳年下の旦那さんがいるそうで驚きです。

広田亜矢子と佐藤浩市の馴れ初めがまるで恋愛ドラマ!

広田亜矢子と佐藤浩市の馴れ初めがまるで恋愛ドラマ

出典:twitter

広田亜矢子さんは佐藤浩市さんの大ファンで追っかけをしていて、佐藤浩市さんと出会うため舞台女優になったそうです。

その後念願叶って佐藤浩市さんと出会い、猛アタックしたそうです。

芸能人に会いたいために業界に入って、お目当ての人に出会いアプローチできるなんて夢のようですよね。

しかもその結果結婚までできるとは…ドラマかおとぎ話のようです。

結婚後は、病弱な広田亜矢子さんを気遣った佐藤さんの意向で、女優を引退しています。

寛一郎さんを出産する際は、2か月も早く生まれ1600gの未熟児だったそうです。

それでか、大きくのびのび育って寛大な心を持って欲しいと寛一郎と名付たそうです。

広田亜矢子の人柄が伝わるエピソード!

広田亜矢子の人柄が伝わるエピソード

出典:twitter

1993年に結婚されてもうすぐ30年ですが夫婦円満で暮らしているようです。

広田亜矢子さんの人柄の良さと、佐藤浩市さんの愛情深さのたまのもですね。

献身的な義母の介護

広田亜矢子さんは、佐藤浩市さんの母親の介護を続けました。

三國連太郎さんは4回の結婚をしていますが、佐藤浩市さんのお母さんは3番目の妻です。

三國連太郎さんが人気俳優として活躍していた29歳の時に、神楽坂の売れっ子芸者だった佐藤さんのお母さんと出会い、同棲の末1957年に結婚しました。

その3年後に佐藤浩市さんが生まれますが、佐藤さんが小学6年生の時に離婚します。

その後お母さんと2人暮らしになりますが、中学に上がるとお母さんは内縁の夫を作り、佐藤さんはこの状況に耐えられなくなりました。

高校2年生で家を飛び出した後は、お母さんとは30年にわたって断絶状態でした。

お母さんは2008年脳梗塞で倒れ、その年に内縁の夫も亡くしてしまい独り身になってしまいます。

脳梗塞の後遺症から痴呆症を患い入院していたお母さんを、自宅にひきとり介護することにしました。

佐藤さんはずっと家でひとりという環境で育ってきたので、家族は多い方がいいという考えだそうです。

親の介護をなると家庭内に不和が生じやすいですが、広田亜矢子さんは快諾したそうです。

その頃には、お母さんは佐藤さんの顔も分からず、食事はもちろん入浴から排泄まで、全部付きっきりで広田亜矢子さんが介護しました。

佐藤浩市さんはお母さんを最後まで面倒見ようと、エレベーターを設置したバリアフリーの地上3階建ての家も建てています。

これは広田亜矢子さんがいるからこそ出来たことですよね。一切文句を言わなかったといわれていますので、本当に素晴らしい人です!

佐藤浩市へのサプライズレター

2015年公開の主演映画「愛を積むひと」の初日舞台あいさつで、佐藤浩市さんは妻からの手紙に男泣きしています

代読したのは映画で妻役を演じた樋口可南子さんで、佐藤浩市さんは自分の妻から手紙が来ていることに動揺していましたが、読んでもらいます。

映画の中で妻が夫に手紙を残すということで、手紙を書かいたそうです。

この映画を3回見ていて号泣したそうです。

結婚当初体があまり丈夫でなかった広田さんは、自分が死んだら「保険金で好きな映画を作ってね」と言ったことがありました。

当時はまだ若く死は遠くにありましたが、自分が先に逝ってしまうような気がしていたのは本当だそうです。

今は役者しかできない浩市さんを残しては、事務所や映画関係者の人たちに、とてつもない迷惑が掛かるので、それを考えると死ねないと書いています。

23年前に浩市さんからもらった手紙に「僕は一生あなたの味方です」という言葉が今も忘れられません。

これからも家族でいろんな形の藍を積み上げて、たくさんの笑顔につなげていきましょうねと締めくくっています。

これは…男泣きしてしまいますよね。

映画を観て、この手紙を読んだら号泣です。

広田亜矢子さんが、とても大きな愛で家族を包んでいるのがよく分かるエピソードです。

「愛を積むひと」とは

エドワード・ムーニー・Jr.の小説「石を積むひと」が原作。

あらすじ

東京の町工場をたたんで北海道に越してきた良子が、夫の篤史に家を囲む石壁を造って欲しいと頼みます。

渋々始めた篤史でしたが、徐々にやりがいが出てきて周りとの交流も深まっていきました。

しかし良子は昔からの持病の心臓病で死んでしまいます。

悲しみに打ちひしがれる篤史でしたが、良子の手紙を読み人生を見つめ直すのでした。

寛一郎さんのお母さん、広田亜矢子さんは優しくて懐の広い人なんでしょうね。

愛情たっぷりに寛一郎さんを育てたのでしょう。

これからも末永く、夫婦円満で過ごされていくのでしょう。