【一人っ子】マツコ・デラックスの実家は千葉県稲毛?90歳の父親と母親は2016年に他界

【一人っ子】マツコ・デラックスの実家は千葉県稲毛?90歳の父親と母親は2016年に他界

女装姿でインパクトのある発言がうけているタレントのマツコ・デラックスさん。

実家は千葉県千葉市稲毛、家族構成は両親と自分の3人家族です。

彼は一人っ子で、これまでによく自分の両親への感謝の気持ちを口にしています。

そんなマツコ・デラックスさんの両親は、どんな人なのか気になります。

そこで今回は、マツコ・デラックスさんの実家・家族構などを調査してみました。

マツコ・デラックスの実家は千葉県の稲毛?

マツコ・デラックスさんはテレビ番組で、千葉県出身であることは公言しています。

実家の最寄り駅は、JR総武線の稲毛駅だということもテレビで話しているためネットでは、実家は千葉県千葉市稲毛区宮野木にあるのではないかといわれています。

バラエティー番組「月曜から夜更かし」では、スタジオ観覧者に同郷の女性たちがいたため、司会そっちのけで地元の話で盛り上がっていました。

その話の中で、千葉市立園生小学校、千葉市立小中台中学校出身だということも判明しています。

小中台中学校のWikipediaの著名人の欄にも、卒業生としてマツコ・デラックスさんの名前があがっています。

また、横浜FCの監督・四方田修平さんがマツコ・デラックスさんの同級生だとも書かれていました。

他に、YouTuberの水溜りボンドのトミーさんもこの中学校の卒業生だそうですよ。

マツコ・デラックスさんの出身高校は、実家から近い千葉県立犢橋高等学校偏差値43/

普通科)に進学しています。

高校では、ジャニーズの木村拓哉さんと1年生の時同級生でした。(木村拓哉さんは高校1年で転校しています)

千葉市立園生小学校:千葉市稲毛区小仲台9丁目30-1

千葉市立小中台中学校:千葉市稲毛区小仲台9丁目46-2

千葉県立犢橋高等学校:千葉市花見川区千種町389-1

小学校から高校まで地元の学校に通っていたため、マツコ・デラックスさんの実家は千葉県千葉市稲毛区でしょう!

しかし、マツコ・デラックスさんの家族は彼が30歳の頃に引っ越しをしています。

なので、現在父親が暮らしている実家が稲毛区にあるのかは分かっていません

ちなみに、マツコ・デラックスさんは高校を卒業してから東京で一人暮らしを始めています。

バラエティー番組「月曜から夜更かし」では、「新宿区、渋谷区、千代田区、港区、中央区、文京区のみで生活している」と話しているので、マツコさんの自宅はこの区の中にありそうです。

マンション住まいでリビングの広さは30畳ほどあると、テレビ番組「マツコの知らない世界」で紹介されていました。

マツコ・デラックスの父親は90歳

マツコ・デラックスさんは兄弟はおらず、一人っ子で両親と3人家族だということが分かっています。

両親は昭和一桁生まれで、マツコ・デラックスさんは父親が41歳・母親が39歳の時に誕生したとテレビ番組で紹介されていました。

父親の年齢については、2021年のテレビ番組「マツコ&有吉 怒り新党」で90歳だと話しています。

2021年の時に90歳だと、父親は1931年(昭和6年)生まれ、満州事変があった年に誕生しています…歴史の世界ですね…

終戦までは満州にいたそうですよ。

第2次世界大戦は1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)まで6年ほど続いた戦争なので、両親はがっつり戦争を体験しています

そんな父親のことをマツコさんは「隣で人が火だるまになって死んでいるような時代を生きた人だから、子どもが女装してメディアに出ていても『まあ、とりあえず生きているし』と動じない」と新聞のインタビューで話しています。

また両親は「セクシャリティや仕事の内容に関して、必要以上に踏み込んでこなかった」「デリケートなことには触れない人たち」だったそうです。

マツコ・デラックスさんはそんな両親に「あの親じゃなかったら、今の私はなかった」と深く感謝しています。

昭和一桁生まれなのに、自分の性趣向をおおらかに受け入れてくれた両親を本当に大切にしているようです。

マツコ・デラックスさんの父親は、九州生まれで建設会社のサラリーマンでした。

実家は変わった家庭で、電化製品などは他の家庭よりも5年ほど遅れて購入していたそうです。

エアコンやCDプレイヤーなども遅れて入ってきて、両親は便利に暮らそうという発想はなかったといいます。

そのため、家電製品は修理などをしながら長く使い、購入時と色が変わってしまうくらい使い込んでいました。

贅沢をせず質素倹約をする家庭だったようですね。

そのためか、現在マツコ・デラックスさんは「物欲がゼロ」なんだとか。

昔は散財もしたようですが、最終的に父親の価値観にたどり着いたようです。

マツコ・デラックスさんが語った父親は下記の通りです。

  • 細くて小柄
  • 際立った特徴がない
  • 寡黙で堅実な性格
  • 無欲の人

昭和一桁生まれの九州男児といったかんじですね。

マツコ・デラックスさんは、28歳から30歳まで実家で引きこもっていた時期があります。

その時、普段何も口出しをしない父親が「働かない奴は、水飲むな」と叱ったそうです。

しかし母親が「今度引っ越する家にあなたの部屋はないわよ」と言うと、「親と子なのにそこまで厳しく言わなくてもいいだろう」と庇ってくれました。

厳しくも優しいお父さんです。

これをきっかけに、再び一人暮らしを始めたマツコ・デラックスさんは、本格的にフリーライターとして活動し、情報番組「5時に夢中!」でメディアに注目されるようになりました。

現在は、親がお金に困っているわけではありませんが、仕送りをするようになったそうです。

それは「ちゃんと仕事をして稼いでいるから安心して欲しい」という思いからだとか。

今のマツコ・デラックスさんの活躍は、2年間の引きこもり生活を黙って見守り、最後にハッパをかけてくれた両親のおかげだといえますね!

マツコ・デラックスの母親は2016年に他界

マツコ・デラックスさんの母親は2016年に82歳で亡くなっています

両親と自分の老後のために必死で働いてきたマツコ・デラックスさんは、母親が死んでしまい精神的に不安定になったようです。

母親が亡くなって5年ほど経った2021年、テレビ番組「マツコ&有吉 怒り新党」で、「部屋の乱れは心の乱れ。自分の精神状態が言えに反映されている」と自分の部屋がごみ屋敷寸前だと話していました。

またその前の年にも「おしゃれイズム」で、「この仕事辞めようと思ったことがある?」と司会の上田晋也さんに聞かれると「今、思っている」と答えました。

どうも母親の死と将来の不安から、精神不安定になり部屋が散らかり放題になってしまったようです。

この状態を心療内科の先生は「仮面うつ」の可能性があると指摘しています。

これは、外では元気に振舞いながら、家に帰ると何もできなくなってしまう状態をいいます。

母親の死に大きなショックを受けたマツコ・デラックスさんは「父親が亡くなってしまったら、体重500㎏になって部屋で動けなくなるかも」と言っているそうです。

マツコさんにとって両親は、かけがえのない存在だと分かる言葉ですよね。

マツコ・デラックスさんの母親は、性格や顔、体格がマツコ・デラックスにそっくりだそうです…というかマツコさんが母親似なんですね。

母親はサバサバした性格で、マツコさんは話し方も似ているそうですよ。

ということは、見た目も中身も今のマツコさんをちょっと小さくした人がお母さんといえそうです!

マツコさんは女装タレントして活動し始めたころ、両親にバレないように東京のローカル番組や深夜放送に出演していました。

しかし、母親は息子の活動を知っていて陰から見守りずっと応援していたようです。

マツコ・デラックスさんは中村うさぎさんとの対談集の中で、母から届いた手紙のことを話しています。

今年の正月、腰の手術をして杖を使わなければ歩けなくなった母から、初めて明白にアタシのテレビを見ているという内容の手紙をもらったの。

そして最後は「今日も5時の生放送を見てます」で締めくくられていたわ。

女装をした息子をずっと母はみていたのよ。

アタシ思わず大笑いしちゃったわ。

そして孤独ではない自分を再確認し号泣したわ。

出典:2011年「悪の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡」

どうしても打ち明けることができなかった本当の自分を認めてくれる手紙をもらって、マツコさんは救われたことでしょう。

母親の誕生日には、毎年「イオンが出る造花」をプレゼントしていたそうです。

また、こんなエピソードがあります。

マツコ・デラックスさんは母親のことを「お母さん」と呼んでいました。

バラエティー番組「5時に夢中!」で、母親の呼び方について話題になった時、普段「お母さん」と呼んでいたことを明かしています。

しかし、思春期になると恥ずかしくなり「おふくろ」と外では言っていたようです。

一度も言ったことがないのに「うちのおふくろがさ…」と呼んでいたため、後になって罪悪感を覚え「お母さんごめんなさい」という気持ちになったといいます。

男性は特にある一定の年齢になると、「ママ」や「お母さん」と呼ぶのが恥ずかしくなるみたいですね。

それにしても、「お母さんごめんなさい」と心の中で思うマツコ・デラックスさんは、本当に母親が大好きだったんですね!

 

陰で支えてくれた両親をとても大切に思っているマツコ・デラックスさんの心温まるエピソードを紹介しました。

今後も高齢の父親を大切にして、テレビ界で頑張って欲しいものです!!

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