【職歴表あり】園田賢(プロ雀士)の会社はどこ?職務経歴を時系列にまとめ!転職は何回?

【職歴表あり】園田賢(プロ雀士)の会社はどこ?職務経歴を時系列にまとめ!転職は何回?

Mリーグ・赤坂ドリブンズ所属の園田賢プロは、2019年までプロ雀士と会社員の二足の草鞋で活動をしていました。

会社員歴も長く、何回も転職していたようです。

そこで今回は、

  • 園田賢プロの職歴
  • 園田賢プロはどこの会社にいたのか

などを。紹介していきます!!

園田賢(プロ雀士)の会社はどこ?全職歴を時系列にまとめ!

園田賢プロ

園田賢プロ

2019年12月までプロ雀士と会社員の二足の草鞋で活動していた園田賢プロの【職歴表】です。

職業
2005年~2008年3月雀荘「Z」(渋谷)
2008年4月~2009年5月エス・アンド・アイ株式会社
2009年5月~2010年4月有限会社エムエムネットワーク
2010年7月~2013年頃株式会社コネクト
2013年頃~2015年頃フリー(アフィリエイトサイト運営)
2015年頃~2019年12月博報堂の系列子会社
2020年1月~現在プロ雀士

園田賢プロは、1980年11月25日生まれの42歳。

兵庫県神戸市出身で、私立の名門難関校である灘中学校・高等学校に進学しています。

名門灘高等学校に通っていただけあって現役で東京大学を目指していましたが浪人し、その期間に雀荘でアルバイトをしたことから麻雀にどっぷりはまりました。

結局、慶應義塾大学・環境情報学部環境情報学科(藤沢キャンパス)に進学しても、麻雀にのめり込み留年。(麻雀をするために大学へ入ったようなものでした…)

大学在学中に就職活動に活かそうと、最高位戦日本プロ麻雀協会のプロテストを受験し2003年にプロ雀士となりました。

雀荘「Z」(渋谷)

年齢職業
22歳 大学生2003年ギャル雀(横浜)バイト
23歳 大学生2004年雀荘「Z」 バイト
24歳2005年雀荘「Z」 社員
25歳2006年雀荘「Z」 社員
26歳2007年雀荘「Z」 社員

園田賢プロは、慶應義塾大学時代に雀荘でアルバイトをしていて、そのまま社員になっています。

雀荘「Z」でのアルバイトがとても楽しく、就職活動をして内定ももらっていたのですが、給料もバイト先の方が高かったので、そのまま正社員として働くことにしました。

現在、この雀荘「Z」はネット検索で見つからないため、もうお店はないのかもしれませんね。

エス・アンド・アイ株式会社

エス・アンド・アイ株式会社のHP

エス・アンド・アイ株式会社のHP

年齢職業
27歳2008年エス・アンド・アイ(株)

その後27歳になると、雀荘「Z」に飽きてきたので、しっかり就職しようと考えます。

第二新卒で「エンジニア」になろうと、IT企業のエス・アンド・アイ株式会社に転職し、サーバーエンジニアとして働き始めます。

しかし、お給料はいいもののとても地味な仕事で、上司との相性も合わなかったため1年ほどで転職をすることにしました。

有限会社エムエムネットワーク

年齢職業
28歳2009年(有)エムエムネットワーク

次は、ツテもあって広告代理店の有限会社エムエムネットワークに転職し、麻雀ウォーカーを運営することになりました。

麻雀ウォーカーは、1996年~2013年まで麻雀の最新トピックや、麻雀プロのコラムなど麻雀に関するあらゆることに関しての情報が詰まったポータルサイトでした。

趣味と実益を兼ねた仕事だったようです。

しかしこの時期結婚をし、嫁に「もう少し稼いできて」と言われ転職を決心します。

株式会社コネクト

年齢職業
29歳2010年(株)コネクト
30歳2011年(株)コネクト
31歳2012年(株)コネクト

結婚を機に転職をしたのが、メディア関係の株式会社コネクトでした。

今までエンジニアとして働いてきたノウハウを活かし大躍進した園田賢プロは、3年で大台の年収1,000万円となりました。

会社での地位も高くなり、最終役職は部長職だったそうです。

世界最大級のビジネス向けSNSリンクトインには、園田賢プロのプロフィールがありました。

リンクトイン 園田賢のプロフィール

リンクトイン 園田賢のプロフィール

この時期はとても忙しく働き、プロ雀士の仕事はお休みしていました。

そんな中、部下が「アフィリエイトサイトで儲けることができているので、会社を辞める」と言ってきたそうです。

ちょうどその時期離婚をした園田プロは、がむしゃらに働く必要もなくなったため自分もアフィリエイトサイトの運営をしようと考えました。

YouTubeチャンネル「麻雀遊戯王」では、就職活動のためにプロ雀士となってからの転職について↓↓園田賢プロが語っています。

フリー(アフィリエイトサイト運営)

年齢職業
32歳2013年フリー
33歳2014年フリー

前の会社はとても忙しく時間が取れないため、アフィリエイトサイトの運営するため退職しました。

その後、1年くらいかけて順調にアフィリエイトサイトを運営していたのですが、Googleのアルゴリズムが変更されたことで、収入が一気になくなってしまいました。

博報堂系列子会社

年齢職業
34歳2015年博報堂系列子会社
35歳2016年博報堂系列子会社
36歳2017年博報堂系列子会社
37歳2018年博報堂系列子会社
38歳2019年博報堂系列子会社

アフィリエイトサイトの運営が上手くいかなくなった園田プロは、賞金を稼ごうと麻雀大会(RTD)に出場します。

結局優勝はできず、賞金100万円はゲットできなかったのですが、大会の打ち上げで「博報堂の人」と知り合い、博報堂の系列子会社に誘ってもらうこととなりました

この「博報堂の人」というのが、後に赤坂ドリブンズの監督となる越山剛さんです。

園田賢プロにとっては、今後の人生を大きく左右する出会いとなったようですね。

彼が転職した博報堂の系列子会社がどの会社かまでは特定できませんでしたが、とにかく大手の優良企業なので、とても働きやすかったそうです。

プロ雀士

年齢職業
39歳2020年プロ雀士
40歳2021年プロ雀士
41歳2022年プロ雀士
42歳2023年プロ雀士

仕事に余裕ができた園田プロは、多くの麻雀大会に出場するようになり知名度が上がっていきます。

そして2018年Mリーグが開催されることとなり、ドラフト会議で赤坂ドリブンズに1位指名されました。

当時は、21人中唯一の会社員兼業の選手でした。

その後、プロ雀士1本でやっていくことを決め2019年12月に会社員を辞めています

アフィリエイトサイトの運営が不調になってからの転職についてはこちら↓↓

転職人生を送ってきた園田賢プロですが、地頭がいいのもあって就職には苦労しなかったようです。

園田賢(プロ雀士)の転職は何回?

赤坂ドリブンズ・園田賢プロ

赤坂ドリブンズ・園田賢プロ

園田賢プロは、転職を4回しています。

0: 雀荘「Z」(渋谷)

1: エス・アンド・アイ株式会社

2: 有限会社エムエムネットワーク

3: 株式会社コネクト

4: 博報堂系列子会社

リンクトインのプロフィールにも、株式会社コネクトまでの転職について書いていました。

リンクトイン 園田賢の職歴

リンクトイン 園田賢の職歴

マイナビ転職では、40代前半の転職を経験している人の転職回数は3.7回となっているため、園田賢プロは一般的には、転職回数がちょっと多かったのかなと思われます。

しかし、途切れることなく転職できたのは運と縁に恵まれていたからなのでしょう。

Mリーガーの中では「運が悪い」の代名詞は園田賢プロなのですが、実はここぞというところでは運が良かったんです!!(実力があっての運ですよね)

そんなここぞという時の運を使って、今季「Mリーグ2023-24 」・赤坂ドリブンズでの活躍が期待されます。

もちろん実力も兼ね備えていますが、Mリーグ!頑張ってもらいたいです!!

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